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どうして女装してるの? -1-
自分がなんでパンティストッキングフェチになったのか。なんで女装を始めたのか。
色々説明できることもあるし説明しにくい事もある。
そりゃあ本当のことなんかカウンセラーさんにでもかかってみないと解らないのかもしれないけれど、今までの経験や遍歴を書き留めてみようと思います。
色々説明できることもあるし説明しにくい事もある。
そりゃあ本当のことなんかカウンセラーさんにでもかかってみないと解らないのかもしれないけれど、今までの経験や遍歴を書き留めてみようと思います。
最初の体験は、幼少児に穿かされた白タイツだと思う。
うちは決して過去も現在も裕福じゃなかったし、私自身も夏なんかは半ズボンにランニングシャツで遊んでたごく普通の下町の子供だった。
それでもよそ行きの服を着て出かけるときや小学校の学芸会で劇に出演するときは白タイツを穿かされた。でもその時にタイツを穿くことが気持ちいいと思った記憶はない。せいぜい出掛けて転んでタイツを破いてしまったことぐらいしか覚えてない。
強烈に覚えているのが、小学校のお楽しみ会で二人の女子が寸劇をやった時だ。
その二人の女子は白タイツを穿いているものの、スカートを穿かずに寸劇をやったのだ。
既に高学年になっていた私達男子はその女子を直視できずに、お互いにニヤニヤ笑っていた。
かく言う私も白タイツ丸出しの女子の腰から下をチラチラ見ながら恥ずかしさを覚えた。
なんであんなに恥ずかしかったんだろう?白タイツの女子を直視することで、自分のスケベさを他に知られてしまうことが恥ずかしかったのだろうとは思うのだけれど。あの時の白タイツ女子は恥ずかしくなかったのだろうか?リボンの騎士のようなつもりだったのだろうか?
話は前後するかもしれないけど、小学校高学年で私はすでにある意味フェチになっていたと思う。
当時は兄と交代で少年マガジンを購入して読みふけるような子供で、自分でも漫画というかイラスト的なものをノートに描くことが好きだった。
その中で、くのいちというか女忍者の絵を買うことが時々あった。
ルックス的にはTVドラマ「水戸黄門」で由美かおるさんがしていたようなコスチュームの女忍者だ。
具体的に言えば全身網タイツをまとい、その上に黒装束を着ている女忍者。下半身はミニスカートのようになっていた女忍者。
私は細かく全身網タイツを描きこんだ、まだ精通もなかった頃なのにドキドキしながら鉛筆を走らせていた。あれは親には見られていなかったのかな?
中学に入り三年生頃になると既に夢精は経験し、勃起もしていたがオナニーはまだ知らなかった。
友人の家に友達数人で集まり、週刊プレイボーイや平凡パンチのグラビア写真を回し見た。
アイドルが水着姿やレオタード姿になっているグラビアももちろんあり、レオタード姿の時には必ずストッキングや白タイツをその下に穿いていたのが普通な頃。
その頃は粗悪なエロ本も出回っていたのでそういう本も回し読みしたがオナニーまではたどり着かなかった。
それにしても、クラスメイトのある女子は、時々制服の下に白タイツを穿いて来て、私をドキドキさせてくれた。
その後、制服のない公立高校に進学したんだけれど、「標準服」として制服を着てきた女子は必ず黒ストッキングを着用していた。私服の女子でもベージュ系のストッキングを穿いている女子は多かった。
教室の席に座り、斜め前に座るストッキング女子を見ると膝の裏にストッキングのアーチができていて、それが私を悩ませたものだ。
そして覚えているのが、当時付き合っていた女子が来てきた服装である。その時、彼女はグリーンのコートに茶色のタイツを穿いて来たのだ。私がベージュ系を基本的に好むのは、その時のインパクトがベースになっていることは間違い無いと思う。
高校を出てからは大学にも入れず、二年ほどぶらぶらしていた。とはいっても少しは自営の家業を手伝ったりした。
そして、その頃だったと思うんだけど、ある日タンスの中から母親の黒パンティストッキングを発見してしまったのだ。
私がまだ小さい頃にも母親のストッキング発見したことはあるが、それは左右分かれているストッキング。興奮するには至らなかった。
しかしその黒ストッキングは興奮した。そして何を思ったか自分で穿いてみたのだ。母親の身長と私の身長差からすればとてもきっちり穿けたはずはないのだけれど、すっかり自分でパンティストッキングを穿くことにやられてしまったのだ。
それからは、あまり客のいなさそうな洋品店や薬局でタイツを購入した。
なぜパンティストッキングではなくタイツかというと、冬になるとタイツはワゴンに山積みされて売っていたので、パンティストッキングのように品定めをする必要がなかったからだ。2~3個の丸めて売られているタイツを掴んでレジに持っていけばそれで済んだ。とは言え、中には親切に「これは女性用ですけどいいですか?」などと確認してくれる店員さんもいて、とても恥ずかしかったのだ。
タイツを買うほうが容易とはいえ、サイズも見ないで買っているのが我ながら恥ずかしい。
どうも当時はパンティストッキングやタイツはよく伸びるから「ワンサイズ フィッツ オール」だと思い込んでいた。
家に持ち帰ったタイツを全裸になって穿く。そして自分の腰から下を鏡に写し激しく昂り射精した。つまり自分を女性に見立てて自慰したのが今の女装化への始まりだったと思う。
うちは決して過去も現在も裕福じゃなかったし、私自身も夏なんかは半ズボンにランニングシャツで遊んでたごく普通の下町の子供だった。
それでもよそ行きの服を着て出かけるときや小学校の学芸会で劇に出演するときは白タイツを穿かされた。でもその時にタイツを穿くことが気持ちいいと思った記憶はない。せいぜい出掛けて転んでタイツを破いてしまったことぐらいしか覚えてない。
強烈に覚えているのが、小学校のお楽しみ会で二人の女子が寸劇をやった時だ。
その二人の女子は白タイツを穿いているものの、スカートを穿かずに寸劇をやったのだ。
既に高学年になっていた私達男子はその女子を直視できずに、お互いにニヤニヤ笑っていた。
かく言う私も白タイツ丸出しの女子の腰から下をチラチラ見ながら恥ずかしさを覚えた。
なんであんなに恥ずかしかったんだろう?白タイツの女子を直視することで、自分のスケベさを他に知られてしまうことが恥ずかしかったのだろうとは思うのだけれど。あの時の白タイツ女子は恥ずかしくなかったのだろうか?リボンの騎士のようなつもりだったのだろうか?
話は前後するかもしれないけど、小学校高学年で私はすでにある意味フェチになっていたと思う。
当時は兄と交代で少年マガジンを購入して読みふけるような子供で、自分でも漫画というかイラスト的なものをノートに描くことが好きだった。
その中で、くのいちというか女忍者の絵を買うことが時々あった。
ルックス的にはTVドラマ「水戸黄門」で由美かおるさんがしていたようなコスチュームの女忍者だ。
具体的に言えば全身網タイツをまとい、その上に黒装束を着ている女忍者。下半身はミニスカートのようになっていた女忍者。
私は細かく全身網タイツを描きこんだ、まだ精通もなかった頃なのにドキドキしながら鉛筆を走らせていた。あれは親には見られていなかったのかな?
中学に入り三年生頃になると既に夢精は経験し、勃起もしていたがオナニーはまだ知らなかった。
友人の家に友達数人で集まり、週刊プレイボーイや平凡パンチのグラビア写真を回し見た。
アイドルが水着姿やレオタード姿になっているグラビアももちろんあり、レオタード姿の時には必ずストッキングや白タイツをその下に穿いていたのが普通な頃。
その頃は粗悪なエロ本も出回っていたのでそういう本も回し読みしたがオナニーまではたどり着かなかった。
それにしても、クラスメイトのある女子は、時々制服の下に白タイツを穿いて来て、私をドキドキさせてくれた。
その後、制服のない公立高校に進学したんだけれど、「標準服」として制服を着てきた女子は必ず黒ストッキングを着用していた。私服の女子でもベージュ系のストッキングを穿いている女子は多かった。
教室の席に座り、斜め前に座るストッキング女子を見ると膝の裏にストッキングのアーチができていて、それが私を悩ませたものだ。
そして覚えているのが、当時付き合っていた女子が来てきた服装である。その時、彼女はグリーンのコートに茶色のタイツを穿いて来たのだ。私がベージュ系を基本的に好むのは、その時のインパクトがベースになっていることは間違い無いと思う。
高校を出てからは大学にも入れず、二年ほどぶらぶらしていた。とはいっても少しは自営の家業を手伝ったりした。
そして、その頃だったと思うんだけど、ある日タンスの中から母親の黒パンティストッキングを発見してしまったのだ。
私がまだ小さい頃にも母親のストッキング発見したことはあるが、それは左右分かれているストッキング。興奮するには至らなかった。
しかしその黒ストッキングは興奮した。そして何を思ったか自分で穿いてみたのだ。母親の身長と私の身長差からすればとてもきっちり穿けたはずはないのだけれど、すっかり自分でパンティストッキングを穿くことにやられてしまったのだ。
それからは、あまり客のいなさそうな洋品店や薬局でタイツを購入した。
なぜパンティストッキングではなくタイツかというと、冬になるとタイツはワゴンに山積みされて売っていたので、パンティストッキングのように品定めをする必要がなかったからだ。2~3個の丸めて売られているタイツを掴んでレジに持っていけばそれで済んだ。とは言え、中には親切に「これは女性用ですけどいいですか?」などと確認してくれる店員さんもいて、とても恥ずかしかったのだ。
タイツを買うほうが容易とはいえ、サイズも見ないで買っているのが我ながら恥ずかしい。
どうも当時はパンティストッキングやタイツはよく伸びるから「ワンサイズ フィッツ オール」だと思い込んでいた。
家に持ち帰ったタイツを全裸になって穿く。そして自分の腰から下を鏡に写し激しく昂り射精した。つまり自分を女性に見立てて自慰したのが今の女装化への始まりだったと思う。
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comments
フェチ
Re: フェチ
そうですね。同年代かも^^
そのへんはtwitterのメッセージででもね♪
そのへんはtwitterのメッセージででもね♪
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担任の女の先生の
パンストの爪先が
何時も気になるようになりましたからね、
後は平凡パンチは
毎週購入していましたからね(今も当時の有りますよ)、
週刊プレイボーイは
グラビアにより購入していましたね、
何か同世代じゃないのかな?、
また話しますね。